大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和36年(ネ)207号 判決 1964年3月30日

昭和三六年(ネ)第二〇八号事件控訴人

昭和三六年(ネ)第二〇七号事件被控訴人

(以下第一審原告という)

花輪正弘

代理人

前田外茂雄

昭和三六年(ネ)第二〇八号事件被控訴人

(以下第一審被告という)

山本高市

昭和三六年(ネ)第二〇七号事件控訴人

(以下第一審被告という)

山本きくへ

右両名代理人

宮永基明

主文

原判決を次のとおり変更する。

(一)  第一審被告両名は夫々原判決添付目録記載の家屋を明け渡し、各自昭和三三年一二月三一日から右明渡しずみまで一ケ月金八、五〇〇円の割合による金員を支払いせよ。

(二)  第一審原告のその余の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用は第一、二審とも第一審被告らの連帯負担とする。

(四)  この裁判は第一審原告が各第一審被告に対し、(一)項のうち家屋明渡部分について金二〇万円同金員支払部分について金一〇万円の担保を供して仮に執行することができ、第一審被告らは夫々同額の担保を供して各仮執行を免れることができる。

事実

第一審原告代理人は、昭和三六年(ネ)第二〇八号事件について「原判決第一審被告山本高市に対する部分を取り消す。第一審被告山本高市は第一審原告に対し原判決添付目録記載の家屋を明け渡し、昭和三三年一二月三一日から右明渡しずみまで一ケ月金八、五〇〇円の割合による金員を支払いせよ。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告山本高市の負担とする。」との判決と仮執行の宣告を求め、昭和三六年(ネ)第二〇七号事件について控訴棄却の判決を求めた。

第一審被告山本高市代理人は、昭和三六年(ネ)第二〇八号事件について「本件控訴を棄却する、控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第一審被告山本きくへ代理人は、昭和三六年(ネ)第二〇七号事件について「原判決中第一審被告山本きくへに対する部分を取り消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、次に記載するほかは原判決の事実摘示と同一であるからここに引用する。

事実関係

一、第一審被告ら代理人の主張

(一)  本件家屋の南隣りにある第一審原告所有の家屋を第一審原告が取り毀したが、そのため、本件家屋も破損した結果第一審被告山本きくへが営む席貸業は、昭和三二年五月から同年八月までその営業が成り立たなくなつた。第一審被告山本きくへは、このため本件家屋の賃料を支払うことができなかつたが、これは、第一審原告が同第一審被告に対し、本件家屋を使用収益させる義務に違反したことに対応する賃料不払いであつて、同第一審被告には賃料支払義務の不履行はない。したがつて、このような場合における第一審原告の同第一審被告に対する賃料の支払いの催告更には本件賃貸借契約解除の意思表示は無効である。

(二)  第一審被告山本きくへは、昭和三四年三月二五日に、昭和三三年二月分から昭和三四年三月分までの賃料を供託したところ、第一審原告は、昭和三五年一二月二一日京都地方法務局に対し右供託受諾の意思表示をした。したがつて、第一審原告は、解除の意思表示を撤回したとしなければならない。

(三)  第一審被告山本きくへが本件家屋の占有をはじめて一ケ月後である昭和一一年四月、第一審被告山本高市は、第一審被告山本きくへから本件家屋の転借をうけ、その後は共同して本件家屋を占有している。その転貸借の内容は、使用貸借であり、右転貸借について第一審原告の黙示の承諾があつた。そのわけは、戦時中第一審原告所有の本件家屋及びその他の借家の管理を依頼され、又第一審被告らが、本件家屋の占有を始めてから、昭和三三年一月まで本件家屋の賃料を異議なく受領した事実などから、そういえるのである。

二、第一審原告代理人の主張

(一)  本件家屋の賃料は、第一審被告山本きくへが持参して支払う約束であつた。

(二)  第一審原告が、第一審被告山本きくへの転貸について黙示の承諾をした点は否認する。

証拠関係 <省略>

理由

一、第一審原告の第一審被告山本きくへに対する本訴請求についての認定判断は、次に記載するほかは、原判決の理由(六枚目表一〇行目の理由の冒頭から九枚目二行目まで)と同一であるからここに引用する。

(一)  第一審山本きくへが昭和三三年二月分から同年一二月分までの賃料(一ケ月金八、五〇〇円)を支払わなかつたのは、第一審原告が昭和三二年五月から同年八月まで本件家屋の南隣りの自已所有の家屋を取り毀つたため、本件家屋が破損され、第一審被告山本きくへは本件家屋を使用収益ができなかつた。したがつて、第一審被告山本きくへの右賃料不払いは、責められるべき履行遅滞によるものではないと主張しているので判断する。

本件に顕われた全証拠によつても、第一審被告山本きくへの右抗弁事実を肯認することのできる証拠はない。

かえつて<証拠>を総合すると、第一審原告が、その所有に係る本件家屋の南隣りの家屋を取り毀わすため、その作業をしたのは、昭和三二年七月中のことで、右取毀しによつて本件家屋の南側の壁が破損したが、これも第一審原告の方で同月二七日から同月三〇日までかかつて修復したことが認められる。

そうすると、第一審原告の右取毀しのため第一審被告山本きくへの本件家屋の使用収益に差支えが生じたのは、昭和三二年七月だけである。そうだとすると、第一審被告山本きくへが主張するように、第一審被告山本きくへの賃料不払いが、義務の不履行として責められないのはたかだか壁の損壊とその修復があつた昭和三二年七月分の賃料の支払いについてだけのことであつて、それは第一審原告がその支払いを催告した昭和三三年二月分からの賃料の支払を拒むことができる正当な理由とならないこと勿論である。

したがつて、この抗弁は到底採用できない。

(二)  第一審原告が昭和三五年一二月二一日京都地方法務局に対し、第一審被告山本きくへが、昭和三四年三月二五日同法務局に対して昭和三三年二月分から昭和三四年三月分までの賃料として供託した合計金一一九、〇〇〇円について、供託受諾の意思表示をしたことは、第一審原告において明らかに争わないから自白したものとみなす。

第一審被告山本きくへは、右により、第一審原告は本件家屋の賃貸借契約解除の意思表示を撤回したものであると主張する。

一般に、解除権を有するものが、契約解除の意思表示をした以上、右解除の意思表示を取消し(撤回)することができないことは、民法五四〇条二項の明定するところであるが、同項の趣旨は、解除権を行使することによつて新たな法律関係が生ずる(民法五四五条)から、これを任意に撤回することが許されると、相手方に不当な不利益を被らせるおそれがあるからである。そうすると、相手方にそのような不利益を被らせるおそれがないときもしくは、相手方が右撤回を欲する事情にあるとき(ただ いずれも第三者の権利を害さない場合に限る。)には、その撤回は肯認されると解するのが至当であるが本件において相手方である第一審被告らは、賃貸借の存続を欲していること及び、第一審原告が、本件賃貸借解除の意思表示を撤回することにより害される第三者が存在しないことは弁論の全趣旨によつて明らかであるから、第一審原告がさきにした本件解除の意思表示の取消し(撤回)を肯認することは、むしろ第一審被告らの利益に合致する結果をもたらすことになる。したがつて本件のような場合は、民法五四〇条二項に拘らず、賃貸借解除の意思表示の取消し(撤回)は法律上許されると考えるので、判断を進める。

なるほど、賃貸借について解除事由が発生し、解除権の行使としての解除の意思表示によつて賃貸借が終了したのに、賃借人が依然として賃貸借の目的物の占有使用を継続するときは、その間賃料相当の損害金債務は発生するが、賃貸借にもとづく賃料債務の発生することはありえない。したがつて、この場合、賃借人が、なお賃貸借が存続するものと主張して賃料として金員を供託することは、よくあることであるが、実体上は理由のないことである。又この供託について実体的請求権を有しないのに被供託者がその供託を受諾する旨意思表示をすることも不可解な行動であつて、賃貸借解除の意思表示を有効に撤回し、もしくはその意思表示に無効の事由があり、あるいは、賃貸借を復活遡及する合意が成立したなど特段の事由がないかぎり、矛盾した行動であるといわなければならない。しかし、そうだからといつて、実体的請求権のない供託金についてその受諾の意思表示をしたとの一事により、その意思表示は、さきになされた賃貸借解除の意思表示の撤回を包含するものと解さなければならない至当性はない。いわんや、本件供託は、昭和三三年二月分から昭和三四年三月分までの賃料債務があるとしてその弁済のためにされたものであるところ、昭和三三年二月一日から同年一二月三〇日まで約一一ケ月分の未払賃料があることは当事者間に争いがないから、この分については、第一審原告は実体上の請求権があり、供託受諾の意思表示をして供託金の還付を求められる関係にあり、したがつて、第一審原告が、実体上賃料請求権がないのに無意味な供託受諾の意思表示をしたのは、僅か昭和三三年一二月三一日分及び昭和三四年一月分から同年三月分までの約三ケ月分の供託金についてでしかない。そのうえ、第一審原告が供託受諾の意思表示をしたのは、京都地方法務局に対してであつて、第一審被告山本きくへに対してしたものでないから、右供託受諾の意思表示を目して、直ちに賃貸借解除の意思表示の撤回であるとするわけにいかない。

(三)  第一審被告山本きくへは、第一審原告の本件賃貸借契約解除は権利濫用ないし信義則違反で無効であると主張しているが、第一審原告が供託受諾の意思表示をしたことを加味しても、なお本件解除権の行使は、権利濫用ないし信義則違反に該らない。

(四)  しかし、第一審原告は、第一審被告山本きくへに対し、昭和三三年二月一日から同年一二月三〇日までは、一ケ月金八、五〇〇円の割合による未払賃料の支払いを求めているのであるから、右供託受諾の意思表示により、第一審原告は、同法務局に対し右未払賃料受領の権限を有し、その反面第一審被告山本きくは、右供託物の取戻権を失い、これによつて、右未払賃料支払義務は消滅したとしなければならない。もつとも、第一審被告山本きくへは、右弁済供託により、未払賃料債務は消滅したと明確に抗弁したものでないことは、弁論の全趣旨によつて明らかであるが、右は、権利抗弁でなく、事実抗弁に属するから、同第一審被告の賃料として弁済供託したとの事実主張の中に、同第一審被告が未払賃料を適法に弁済したという抗弁事実が含まれていると解しなければならない。したがつて、当裁判所は、この事項について判決すべき責務と権限があるわけである。

又第一審原告は、第一審被告山本きくへがした供託のうち、昭和三三年一二月三一日から昭和三四年三月分までの分についても、供託受諾の意思表示をしているが、同第一審被告がした右期間の供託は、賃料としてであることは、その主張自体から明らかである。しかし、当裁判所は、昭和三三年一二月三〇日本件家屋の賃貸借契約が適法に解除されたと判断するものであるから、第一審原告は、同第一審被告に対し、昭和三三年一二月三一日からは賃料相当の損害金についての請求権はあつても、賃料請求権は有しないわけである。それだのに、第一審原告は右供託受諾の意思表示をしたことになるから、右供託受諾の意思表示が、第一審被告山本きくへの負担している昭和三三年一二月三一日から昭和三四年三月までの賃料相当の損害金支払義務に消長を及ぼす理はない。

(五)  以上の次第で、第一審被告山本きくへは、第一審原告に対し本件家屋を明け渡し、昭和三三年一二月三一日から一ケ月金八、五〇〇円の割合による賃料相当損害金を支払わなければならないが、第一審原告が、第一審被告山本きくへに対し昭和三三年二月一日から同年一二月三〇日まで未払賃料の支払いを求める部分は失当として棄却を免れない。

二、第一審原告の第一審被告山本高市に対する本訴請求についての判断。

第一審被告山本高市は、昭和一一年四月から第一審被告山本きくへから本件家屋を使用貸借して第一審原告の黙示の承諾のもとに、これを転借のうえ、占有していると自認している。

ところで、第一審被告山本高市は第一審原告の黙示の承諾のもとに、本件家屋を第一審被告山本きくから使用貸借して占有しているとしても、第一審被告山本きくへの本件家屋の賃貸借が同第一審被告の賃料不払いを理由に適法に解除されたことは、さきに説示したとおりであるから、第一審被告山本高市は、そのときから本件家屋に対する占有権原を失い不法占拠者となつたとするほかない。

第一審被告山本高市は、第一審原告の第一審被告山本きくへに対する本件家屋の明渡し請求が権利の濫用と信義則違反であると主張しているが、本件に顕われた全証拠を検討しても、右事実を認めることのできる資料はない。

そうすると、第一審被告山本高市は、第一審原告に対し、本件家屋を明け渡し、第一審被告山本きくへと第一審原告との間で本件家屋の賃貸借契約が適法に解除された日の翌日である昭和三三年一二月三一日から右明渡しまで当事者間に争いがない賃料額である一ケ月金八、五〇〇相当の損害金を支払わなければならないから、その履行を求める第一審原告の第一審被告山本高市に対する請求は正当であり、これと異なる原判決は失当として取消しを免れない。

三、以上の次第であるから原判決を主文のとおり変更することとし民訴三八六条九六条八九条九二条一九六条を適用して主文のとおり判決する。(裁判長判事平峰隆 判事大江健次郎 古崎慶長)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例